2010年03月10日

東京大空襲の日

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  「 母ひとり、子ひとりで育ったんです 」 と、ママ友の一人の女性が言ったとき、私は何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないかと感じました。
息子が5歳くらいの頃の話しなので、もう30年近く前のある日のことでした。

彼女の生まれた家は東京の下町で、若い父親と母親の間に生まれた長女だったようです。
戦争も激しくなった春まだ浅いある夜、生まれて間もない彼女を背負い、空襲警報が鳴り響く中、近くの防空壕に彼女の母親は急いだようです。なんとかたどり着いて安堵する間もなく、その防空壕は人があふれんばかりにひしめいていて、おまけに背中の彼女が火がついたように泣き出して、まったく泣きやまなかったのだそうです。
そうでなくても、防空壕に避難している人たちは、自分の家や家族の心配で殺気立っていて、その中の誰かが 「 うるさい! 黙らせろ 」 と怒鳴り、仕方なく彼女の母親は、泣きやまない彼女を背に、一旦外に出たのだそうです。いくらも歩かないうちに後ろで火の手が上がったので振り返ってみたら、さっきまで自分がいた防空壕が、すでに火の海だったようです。
父親も南方で戦死されて、結局彼女母親だけが生き残ったというわけです。

「 あの時あなたが泣かなかったら、一家全滅で、誰も仏様を供養することができなかったから、泣いてくれたあなたには、感謝をしている 」 と、彼女の母親は慰めにもならないことを言うのだと、彼女は言いました。

私が十代の頃にアルバイトをしていた家具屋さんに、いつも面白いことを言ってみんなを笑わしている常務さんがいました。
彼は終戦を外地で迎え、やっとの思いで引き上げてきたら、祖母、両親、妹や弟たち、同居していた叔母を含めた一家全員死亡して、家も焼けて形もなかったと話してくれました。

これらは、すべて昭和20年3月10日のできごとです。
この夜の東京の死者は約10万人。
飛行機の爆音とともに、無数の焼夷弾が下町を中心に投下されました。
私の亡くなった祖母も、戦後何十年たっていても、何かのモーターの音を聞いただけで、 「 ああ嫌だ、B29 ( アメリカの爆撃機 ) を思い出す 」 と、顔をしかめていました。

今日がお誕生日の方には申し訳ないのですが、65年前の今日は、そんなことがあった日だということをみなさんには覚えていて欲しいのです。 またお亡くなりになった方々の冥福をともに祈りましょう。
東京大空襲、広島、長崎に投下された原爆、沖縄での激戦も含め、多くの民間人の命を奪った戦争を、二度と繰り返さないことを固く誓う日でもあるように思います。
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2010年03月09日

無理

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  初対面の人を「 一目見て、無理だと思いました。 」 と言う人がいます。

それは、ちょっと苦手なタイプとか、具体的に、暗そうだったとか不潔っぽかったからという理由を言うわけでもなく、いきなり無理と決めてしまうということなのですが、それは、究極な上から目線だと私は思うのです。

たとえば食べ物が相手なら、すでに苦手な匂いや食感、アレルギーが出るなどの理由で、無理ということがわかっているので仕方のないことだと思います。
しかし、相手が人間で、しかも会ったことがない人に対してのコメントだったとしたら、どこまであなたは偉いのですか、と言いたくなってしまいます。 
むしろ私なら、そういうことを言う人を疑問に思ってしまうので、その人が無理だという人の方が、少なくともその人よりは、マトモな人かもしれないと思うくらいです。

人に対して以外でも、スポーツでも仕事でも、無理と言う言葉を多く口にする人は、話をしていても本当につまらない人です。
最初に無理と決めてしまえば、それに関わらずに済んでしまうから、失敗も挫折も達成感もないつまらない人生を送っていて、さらにいつも上から目線の人なのだから、話をしていておもしろいはずがありません。

失敗談、味わった挫折、それらを乗り越えた苦労を語れる人はみなさん謙虚です。
だから話を聞いていてもおもしろいし、心地よい時間が過ぎていくので、その人のまわりにはたくさん人が集まります。

もしかしたら、人に対して無理という人は、他の人からみてその人と付き合うことが無理な人なのかもしれません。
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2010年03月08日

自分探し

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  子供時代の私は、火曜日の夜9時から始まる「 奥様は魔女 」 という番組が好きでした。

その当時は、どこの家庭にも、子供は8時に寝なくてはいけないという暗黙の決まりのようなものがあり、多くの友達はその番組を見ることが許されてはいなかったので、私はみんなにうらやましがられました。

このテレビに限らず、私の両親は、楽しそうにしている子供を、無理やり寝室に追いやったり、宿題を理由に中断させることはしませんでした。

このことは今本当に感謝しているのですが、おかげで私の魂は、傷つけられることなく、成長できたような気がします。
また私は父親から、勉強をしなさいと一度も言われたことがながったのですが、これは私がつまらなそうに勉強をしていたからであって、もし楽しそうにしていたのならば、もっとやれ、くらいのことを言われたかもしれません。

普通の親は、好きなことばかりしているのはだめで、勉強をしなさいと子供を育てるのだから、父親はずいぶんと変わった人でした。しかし無意識にしていたのだと思いますが、子供の魂にとって一番大切なことをしてもらっていたような気がします。

たとえば、子供が大切に集めたカードやプラモデル、ゲームソフトなどを、担任教師の 「 宿題をしてこない 」 の一言に逆上して、母親がすべて処分したとしたら、子供の魂はズタズタになります。
そのことは一生忘れないだろうし、自分の大切な宝物より、教師の言葉を重んじた母親からの愛情は、感じられなくなるでしょう。

しかし一番心配なのは、好きなことをして自分の魂を喜ばすことが、いけないことだと否定された事実に向きあって、生きていかなければならない子供の将来です。

私のところに来る人のほとんどは、「 自分探し 」 です。自分探しは、魂が喜こぶこと探しでもあります。
何をやっても自信が持てない、自分に向いている進路や仕事がわからない人生がその日からスタートします。
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2010年03月07日

花粉症

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  今年もまた、花粉症の方には辛い季節がやって来ました。

花粉症は文明病と言われていますが、確かに昔、花粉症などという言葉はなかったし、私や娘が花粉症にはならないことを思えば、確かに 「 そうかもな… 」 と感じます。なぜなら私たち母娘は、どんな国の屋台でも平気で食事ができ、しかもお腹を壊したことがないので、文明人というより野蛮人に近いからです。
しかし、そんな野蛮人の中に文明人がひとり加わったのですが、それは娘のお婿さんです。

少し前から花粉症が始まり、とても辛いようです。
どんな感じ? と聞いたら、 鼻の奥にでかいアリがいるのだ、と言っていました。
いつだったか、目玉を取り出して、水道の蛇口の下でジャージャー洗いたい。と語った人もいたので、花粉症の方はみなさん詩人のようなことをおっしゃいます。
つまり言うに言われぬ具合の悪さなのだということでしょう。

一節によると、もともと人間の体には、炎症を抑える働きのある副腎皮質ホルモンという物質があるそうなのですが、このホルモンは、感情の起伏が大きくなる時に分泌されるのだそうです。つまり、子供時代から泣いたり笑ったり感動したりという経験が多ければ多い人ほど、そのホルモンがたくさん出ているので、大人になってからも花粉症になりにくいのだそうです。
もちろんこれ以外の原因もあるかもしれませんが、副腎皮質ホルモンを投与することによって花粉症の症状が治まるのは事実のようです。

自分の子供を花粉症にしたくなかったら、口うるさく管理しないで、喜怒哀楽のあるのびのびした子供に育てればいいし、すでに花粉症になっている人は、普段から、感動する瞬間を意識して作るといいのかもしれません。
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2010年03月06日

クーガー

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  日本では、草食系男子が増えているのに、フランスでは、息子と年が変わらない男性と付き合う50代の女性が急増しているのだそうです。
これらの女性は、クーガー ( ピューマ ) と呼ばれているのだそうですが、つまりは肉食系ということなのでしょう。

ピューマという言葉から、狙った獲物にすぐさま挑む、サバンナの王者という印象を受けます。
よく考えてみたら私も50代なのに、周りの友人も含めて全員、ピューマどころか、のろのろと草をはむ象という感じです。

しかしこの、欲しいと思ったら、余計なことをつべこべ考える前にすぐ動く… ということは、幸せになる近道であることには違いなく、迷わず動いたことで、成功する確率がかなり高くなるものなのです。

たとえば私のところに来てくれるお客さんは、紹介者の方の紹介だったり、このホームページを見て予約を下さるのですが、すぐに状況が好転する人に限って、予約の段階からテンポがあり、不思議と予約もスムーズで、当日は、「 今日が早く来ないかと思ってました。 」 などと言って来る方が多いのですが、反対に、来る前から、どんな風にセッションをするのか、本当に良くなるのか等々の質問を何度もして来た人で、実際に来た人は一人もいないのは事実です。

私の所に来る来ないは別にして、恐らく何を買うにもどこに行くにも、迷ったり、ぐずぐず考えた挙げ句、やっぱり決断ができない人だと思うのですが、よほど強く背中を押してくれる人でもいなければ、ひとりでは何も決められないのかもしれません。

こういうタイプの女性が、好きな男性を前にして、マイナス思考でぐずぐず迷っているのなら、その男性は、50代のクーガーに奪われてしまっても無理はないと思うのです。

クーガーにあって、その女性にないものは、決断力とシワだということに間違いないようです。
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2010年03月05日

歳をとるのも

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  メカに弱いくせに、取扱い説明書を読むことが大嫌いなので、買って何年も過ぎてから、「 へえ、こんなこともできるのか… 」 と感心することがしばしばあります。

以前乗っていた車は、購入して二年も過ぎた頃、たまたま運転を代わってくれた友人が、当たり前のようにハンドルの高さを調整しているのを見て、私の車がそんなことができるのだと初めて知って感心しましたし、同じく、購入して二年以上過ぎた、ミニコンポでラジオが聴けるということを知ったのは、つい最近のことなのです。
そんなわけで、このところ私は仕事の合間によくラジオを聴くようになりました。

私はひとりで事務仕事も全部するのですが、深夜にパソコンに向かい、NHKFMなど聴いていると、朗読のコーナーがあったり、大昔に流行った歌謡曲が次々と流れて来ます。
もちろん私の生まれるずっと前の曲なのですが、おばあちゃん子だった私は、ほとんど全部知っていて、「 私、トシはいくつだ? 」 なんて思いながらも、決して嫌ではない時を過ごしています。

もちろん他のFM曲も聴くのですが、しばらくするとやっぱりNHKに戻してしまうのです。その理由はアナウンサーの話し方のテンポにあるようです。

高齢者のリスナーを対象にしている番組が多いので、ゆっくりしたテンポで会話が流れ、それが深夜聴くには妙に心地よいのです。
昼間からこの話し方をされたらたまりませんが、うまく考えているなあと思います。
また、そっか、私もお年寄りと会話するときには、こんな風にゆっくりと話してあげたらいいのだと、改めて気づかされました。

人生を一日にたとえると、赤ちゃんが朝なら若者は真昼、私くらいの年齢は夕方から夜で、高齢者の方は深夜なのだと思います。
深夜ならば、歩き回ることなく、横になったり椅子にもたれながら、静かに時間が過ぎていくものです。それは朝のすがすがしさ、真昼の賑やかさ、そして夕方の心地よい疲労感を、すべて経験した者だけが味わえる、至福の時間なのかもしれません。

歳をとるのも悪くないな…
深夜ラジオを聞きながら、ふとそんなことを思いました。
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2010年03月04日

出会うべくして

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  子供の頃、私は頻繁にしゃっくりが出てしまう体質でした。
普段話す声も大きいのですが、しゃっくりはもっと大きく、みんなが静かにしている授業中に始まると、穴があったら入りたい心境になりました。

しゃっくりは、グラスに入れた水を、グラスの向こう側から何口か飲むことにより出なくなるのですが、そのことを知ったのは、大人になってからでした。
誰が教えてくれたのか、名前は覚えていませんが、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

私はこの他にも、あの人のおかげで…ということがたくさんありながら、誰だったのか思い出さないことばかりです。
しかしそういうことの多くは、普段から交流のある人ではなく、たとえば何かの集まりで一度だけ会った人と、たまたま交わした短い会話の中から教えてもらったことばかりなので、名前などはもともとわからないのです。
つまり、私が求めていた答えを教えてくれるためだけに、一回は会うべき人だったといえるのかもしれません。

前世であなたと関わりのあった人が、ちょっとしたお礼だったり、ほんのお返しのつもりで、あなたにとって必要なことだけを伝えるという役割で、目の前に現れるときがあります。

だから、自分にとって必要な人との縁を、挨拶するのが面倒などという理由により、自分からカットしていたのだとしたら、かなりの損をしていると思っていいと思います。

挨拶をするのは、みんなが気持ちよく暮らせるためのマナーだと多くの人は思っています。もちろんそれも間違いないでしょう。しかしそれ以外でも、挨拶をしながら、出会うべくして出会った人ではないかを確認するための行為でもあると思うのです。
確認はこちらからだけでなく、相手も無意識にしているはずですので、目だけは必ず合わせてにっこりしてください。
初めて会ったのに懐かしい、どこかで見た瞳がそこにあります。

そういう意味では、引きこもっていたり、特定の人としか交わらないで暮らすのは、とてももったいことだと思いますし、活動的で、挨拶がきちんとできる人が成功していく理由も、そんなところにあるのかもしれません。
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2010年03月03日

桃の節句

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今日になって、家にあるいくつかのカレンダーをやっと三月にしました。

私にとって、カレンダーを変えるタイミングというのは難しく、あと1日なんて思っているとすぐに何日か過ぎてしまいます。もっともそんなことを言っているのは私だけかもしれません。
月めくりがこんなだから、以前親から日めくりのカレンダーを渡されたときには、「 これはイジメか? 」 とさえ思いました。

今日は早いもので桃の節句です。
旧暦での三月三日は、三月の下旬でしたので、桃がちょうど見頃だったようですが、新暦で祝う現代だと、桃の花にはまだ早いのですが、それでもおひな祭りといえば桃の節句と決まっています。
桃の花を飾るのは、邪気よけの意味もあるそうなのですが、それなら 「 邪気 」 という言葉は平安の昔からあったことになります。

自分のひな人形を、実家に預けっぱなしの私は、今日はせめて桃の花だけでも買って来て、家に飾ろうと思います。

小さな子供が家にいないと、桃の節句も端午の節句もなおざりになりがちですが、たとえば今日なら、桃の花を飾るのでも、散らし寿司を作るのでも何でも良いので少し意識をして過ごしましょう。
長い歴史のある祝ごとの日は、そんな風に過ごすことで、あなたの守護霊様、ご先祖様が喜ぶからです。

今の時代は、他にいくらでも娯楽があるので、実感がないのかもしれませんが、私たちのご先祖は、季節の祝ごとや、春と秋のお祭りだけを楽しみにして生きていたものです。

昨今は、守護霊様やご先祖様が喜ぶことなどそっちのけで、自分だけのために時間やお金をかけてパワースポットにいくことが大流行しています。
しかし、守護霊様やご先祖様が喜ぶこともしないで、そんなことばかりをしていても、あまり意味がないということを覚えていてください。
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2010年03月02日

待つ

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  三月になり、受験生をお持ちの家庭のみなさんは、合格発表を首を長くして待っている頃かと思います。

これは私の勝手な判断ですが、 「 待つ 」という行為には、短期、中期、長期、永遠、の4つがあるように思います。

たとえば、短期だとしたら、電車やバスを待っていたり、銀行や病院で順番がくるのを待つこともそうだし、あるいは、プロポーズの返事、なんていう人もいるかもしれません。
これらはどれも、待つ間が短いに越したことはないことばかりです。

中期だとしたら、最初に書いた合格発表や、銀行に申し込んだ融資の返答、ジャンボ宝くじの当選などが当てはまります。
これらは待つ時間があまり短いよりは、ほどほどの時間待った方がよく、中にはその間に妄想にふけったり、神社に祈願に行く人もいます。

長期というのが一番面倒なわりに喜びも大きいものです。定年までの会社勤めや、子供の成長などがそうだと思います。、
これらはあまりにも長いスパンのため、途中で何度もくじけそうになりながらも無事にその日を迎えると、「 今になって思えばあっという間でした。 」 などと言う人が多いのですが、それはきっと、もう少し続けていても良かったと思えることだからなのでしょう。もしかしたら、その日が来るのを待っていたというより、本当は来てほしくない気持ちもあり、長期で待つということは、待っているようでじつは待っていないことなのかもしれません。

最後に永遠、ですが、これはスタートした時点ではさほど長くはないと思っている場合が多く、中には、中期くらいのつもりが永遠になることだってあります。また、男女の関係において、よくあることのように思います。
妻子持ちの男性の、「 妻とはいずれ離婚するので… 」 などは一番怪しくて、多分その日はやって来ませんので、永遠に待たされるでしょうし、男性から告白された女性の言う、 「 とりあえずお友達としてなら…。 」 の、とりあえずも、永遠だと思っていたほうが懸命です。その気がある人の口からは、いずれ、とか、とりあえず、という言葉は出ては来ないからです。
しかし私は、 「 永遠に待つ 」 という言葉に惹かれます。そこには、人の成長を見守るといった意味合いを感じるからです。生きている限り、一度うまくいかなかったことでも、学んでまた何度でもトライすることは可能です。
難しい国家試験、何度も落ちるオーディション、最後まで走れないマラソン、喧嘩しないと決めたカップル、子供を怒らないと決めたお母さんなど、今度こそ…、と思いながらうまくできなくても、そんなあなたが成長するのを、永遠に見守って、待ち続けてくれている人は必ずいます。

もちろん私もその中のひとりですし、私自身、見守る資格がなくならないように成長し続けなければと思います。
posted by 光凛 at 13:16| Comment(0) | 日記

2010年03月01日

麻雀

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  このところ我が家では、麻雀が流行っています。
4人いないとできないのに、家族は娘夫婦と私の三人だけなので、いつもできるわけではありません。

メンバーはそのときによって変わり、私の女友達、はるかちゃん、近所のフレンチレストランのシェフなどが主なところですが、今一番ハマっているお婿さんなどは、私の家で会う人ごとに、 「 麻雀できますか? 」 と聞いてぃます。

ちょうど二年前のお正月、息子とはるかちゃんと三人で、麻雀でもしようかということになり、たまたますぐ近所に住んでいたお婿さんを引っ張り出こんで、一生懸命教えこんだものですが、まだそのときの彼は、近所に住んでいるお客さんでしかなく、まさか娘と結婚するようになる人だとは夢にも思いませんでしたし、反対に、息子とはるかちゃんは結婚するものだと思っていたので、運命とは本当にわからないものです。

昨日などは、本当は私のお客さんなのに、通信関係の仕事をしているために、いつの間にか我が家の通信機器担当になってしまった K 君 が、仕事の相談に来たというのに麻雀のメンバーにされ、麻雀をうちながら、私というより娘夫婦に仕事の愚痴を聞いてもらい、勝ってごきげんで帰って行ったのですが、あれはあれで良かったのかもしれません。

麻雀をしていると、近くに息子が笑って見ているような気がします。そんなに夢中になってやる子ではありませんでしたが、家族が楽しそうになにかをやっているのを、近くでニコニコしながら見ているというタイプでした。

気の合う仲間がいて、笑いながら麻雀をしている様子は、誰が見ても平和そのものです。だからこそ、そんな様子を息子に見せてあげたいなと思います。
今もなお、いや、今だからこそ、亡くなった息子に、みんなとうまくやっているよって、いいとこを見せたい私がいます。
posted by 光凛 at 11:24| Comment(0) | 日記
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