
「 母ひとり、子ひとりで育ったんです 」 と、ママ友の一人の女性が言ったとき、私は何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないかと感じました。
息子が5歳くらいの頃の話しなので、もう30年近く前のある日のことでした。
彼女の生まれた家は東京の下町で、若い父親と母親の間に生まれた長女だったようです。
戦争も激しくなった春まだ浅いある夜、生まれて間もない彼女を背負い、空襲警報が鳴り響く中、近くの防空壕に彼女の母親は急いだようです。なんとかたどり着いて安堵する間もなく、その防空壕は人があふれんばかりにひしめいていて、おまけに背中の彼女が火がついたように泣き出して、まったく泣きやまなかったのだそうです。
そうでなくても、防空壕に避難している人たちは、自分の家や家族の心配で殺気立っていて、その中の誰かが 「 うるさい! 黙らせろ 」 と怒鳴り、仕方なく彼女の母親は、泣きやまない彼女を背に、一旦外に出たのだそうです。いくらも歩かないうちに後ろで火の手が上がったので振り返ってみたら、さっきまで自分がいた防空壕が、すでに火の海だったようです。
父親も南方で戦死されて、結局彼女母親だけが生き残ったというわけです。
「 あの時あなたが泣かなかったら、一家全滅で、誰も仏様を供養することができなかったから、泣いてくれたあなたには、感謝をしている 」 と、彼女の母親は慰めにもならないことを言うのだと、彼女は言いました。
私が十代の頃にアルバイトをしていた家具屋さんに、いつも面白いことを言ってみんなを笑わしている常務さんがいました。
彼は終戦を外地で迎え、やっとの思いで引き上げてきたら、祖母、両親、妹や弟たち、同居していた叔母を含めた一家全員死亡して、家も焼けて形もなかったと話してくれました。
これらは、すべて昭和20年3月10日のできごとです。
この夜の東京の死者は約10万人。
飛行機の爆音とともに、無数の焼夷弾が下町を中心に投下されました。
私の亡くなった祖母も、戦後何十年たっていても、何かのモーターの音を聞いただけで、 「 ああ嫌だ、B29 ( アメリカの爆撃機 ) を思い出す 」 と、顔をしかめていました。
今日がお誕生日の方には申し訳ないのですが、65年前の今日は、そんなことがあった日だということをみなさんには覚えていて欲しいのです。 またお亡くなりになった方々の冥福をともに祈りましょう。
東京大空襲、広島、長崎に投下された原爆、沖縄での激戦も含め、多くの民間人の命を奪った戦争を、二度と繰り返さないことを固く誓う日でもあるように思います。








